かわうそ平内

無外流の流祖、辻月丹資茂は逸話が多く、時代劇作家の興味をひく人物のようです。村上元三の短編小説『辻無外』や、池波正太郎の短編小説『かわうそ平内』が代表的でしょうか。

池波正太郎と無外流といえば『剣客商売』があまりに有名。今回の『かわうそ平内』もご存知のかたが多いのではと思いますが、作中の辻平内(後の辻月丹)がユニークで、なんとも親しみを覚えさせるキャラクターなので、あえて登場させていただきます。

おはなしの主人公は、越前・大野藩の下級侍、杉田庄左衛門と弥平次の兄弟。藩の剣術指南役・山名源五郎に老親を殺された兄弟は、仇討ちのため、行方をくらました山名を追って江戸へ。助勢をたのもうと、人づてに剣の達人ときく辻平内を訪ねた兄弟がみたのは「文字通りの蓬髪。垢じみた川獺(かわうそ)面をしょぼしょぼさせ、夏も冬も、つぎはぎだらけの麻の着物に黒の袴。門人がいないのだから、・・・一日中、道場で昼寝ばかりしている」というお姿。隣近所から「川獺先生」とか「仙人」とか呼ばれている平内に兄弟は落胆しますが、行くあてもないので道場に逗留することになります。

道場で稽古をつけてもらおうとしても、「見とる、見とる」と聞き流されるだけ。仇討ちの日が近づく兄弟は不安になりますが、ある日平内は兄弟に問いかけます。「人の一生のうちで、・・・何よりもはっきりわかっていることは、いったい何であろうかな?」平内はみずからこたえて「かならずいつの日にか、人というものは死ぬことよ」。さらに「おのれはいつか必ず死ぬる時を迎える。…この一事を忘れることなく日々を生くる者は、・・・おのれが本分をつくすことが出来る」。

兄弟はこのことばが「電光のようにわが胸底をつらぬく」のをおぼえます。

やがて仇討ちの日時がきまりますが、その二日前、平内は一人でふらりと山名源五郎の屋敷にあらわれ「一手御教えを・・・」と立会いを所望します。乞食浪人とバカにした山名は門人と立ち合わせますが、ここからのシーンが格好よい。門人が躍りかかると、ぼんやり木刀をさげたままの平内はひょいと片ひざをつく。そのとたん門人は毬のように飛ばされ左腕を骨折。そのあとつぎつぎと門人が撃ちこんできますが、平内は「ふわりと立ったり」「ひょいと片ひざをついたり」しながらたちどころに門人全員を打ち倒してしまいます。山名源五郎は恐れをなして逃亡。

そして仇討ちの当日、杉田兄弟のつきそいとしてあらわれた平内のすがたに山名は動揺し、杉田庄左衛門に一撃を食らって即死します。仇討ちはみごとに果たされ、その後杉田庄左衛門は家督を弟・弥平次に譲り、自分は辻平内に門人としてつかえることになるのです。

このはなし、元ネタは天保年間に刊行された『撃剣叢談』で、親の敵を討つため「軟弱なる兄弟」が「辻無外(辻月丹)」のもとを訪れ、その志を感じた無外が「格別に精を入れ、初心なれども大切の口伝をも授け」、いざ敵討ちの際には「無外後より大音揚げ、辻無外こそ来て後立するぞ、心強く勝負せよと叫ぶ」。その結果兄弟は敵討ちを果たし「是より無外が名弥世に名高く成りたり」とあります。

池波正太郎は辻月丹に思い入れがあったのでしょう。実話(?)を多少アレンジしてはありますが、ほぼ忠実に小説化しています。辻平内は刀法にたけた“名人”ではなく、心を極めた人物として描かれています。上述の、真剣勝負をまえにして不安にとらわれる兄弟に語りかけるシーン。宮本武蔵の説く「巌(いわお)の身」のように、いつもみずからの死を意識することで、逆にみずからの生の“瞬間”、ほかでもないこの“今”を充実させるという心構え、これこそ「玉簾不断」、「大切の口伝」なのでしょうか。

「かわうそ平内」は、『剣客群像』(池波正太郎、文春文庫)に所収。