玄鳥

出版社/著者からの内容紹介

巣をとり払われた玄鳥のごとく、二度と帰らぬ男を想う路。武家社会の羈絆に縛られつつも鮮烈に生きていく人間像を描く清冽の五篇。

コメント

藤沢周平の時代小説には、三船敏郎のごとく腕も立つし頭も切れる豪快な人物はほとんどあらわれません。もっぱら下級武士やその家族が登場し、藩内の政治や、武士道のしがらみにまきこまれていきます。彼らが悲惨な最期を遂げることもままありますが、決して大げさに「悲劇的」に話がもりあがったりはしません。どこまでも静かに、寂しげに幕をとじます。

昨今の藤沢作品ブーム(山田洋次監督による『たそがれ清兵衛』、『隠し剣 鬼の爪』、『武士の一分』の映画化、NHKによる『秘太刀 馬の骨』、『蝉しぐれ』のTVドラマ化など)には、日本人のなかに昔ながらの「諦念」や「侘びしさ」への静かな愛情が、絶えることなくひそんでいることを再確認させてくれます。

さて『玄鳥』は藤沢周平が、平成三年に発表した短編。「無外流の稽古では非凡の剣才を示した」曾根兵六という下級武士が、生来の素朴さと粗忽(そこつ)な性格から藩を追われ、討手までさしむけられるといういきさつを描きます。

語り部は兵六に無外流を教えた末次三左衛門の娘、路(みち)。兵六は、腕も才もあるのに不器用で運が悪いため、藩の重要な仕事で失敗を重ねます。しかし路はそんな兵六を陰ながら助けようと尽力します。藩内では、自己保身に走る政治家や、すでに形骸化しつつある武士道が幅を利かせており、そんななかで兵六は、路に素直な人間の生き方、生命を感じさせる存在だったのです。

タイトルの「玄鳥」とはつばめのことですが、毎年、路の屋敷に巣をかけ子育てをしていくつばめに、作者はおだやかな人間の生きかたを重ねているようです。しかしそのつばめの巣も冷酷な路の夫によって壊されてしまう・・・・・・(ちなみに今回のタイトル「舅どのの無外流も・・・・・・」は路の夫の言葉)。

この話、読み返せば読み返すほど黒澤明が監督した映画《雨あがる》を思いおこさせます。あの不器用な三沢伊兵衛を外側からとらえた作品のようです。ただし結末はもっと苦く、また『玄鳥』のなかにはチャンバラシーンがありませんが。しいていえば追われる身となった兵六に路が父から教わった無外流秘伝の型「風籟」を伝えるシーンに独特の緊張感があるくらい。

兵六の師、末次三左衛門はこの無外流秘伝の型を自ら兵六に稽古しようとしますが、兵六に「未熟なものがある」といって稽古を中止してしまいます。結局そのまま三左衛門は亡くなってしまい、秘伝の型は口伝として娘の路にたくされました。「兵六に絶体絶命のときがおとずれたときに伝えるように」との遺言とともに。

なぜ三左衛門は兵六に秘伝の伝授を行わなかったのか。それは明らかではありません。「絶体絶命の危機」がくるまで兵六には秘伝を受ける資格がなかったのでしょうか。このあたり読者としては少々不満が残ります。《雨あがる》の三沢伊兵衛と同じく、曾根兵六には武家社会で生き残っていくための何かが欠けていたということなのでしょうか。

結局兵六が「風籟」の型を使う機会があったのか、藩の討手から逃れられたのかは小説中全くあかされません。兵六は「巣を取り上げられたつばめのよう」にどこかへ消えてしまうのです。

「玄鳥」は、『玄鳥』(藤沢周平、文春文庫)に所収。